※以下の文書は、University College LondonのMelissa Terras先生によるDigital Humanities 2010 の総会でのスピーチの原稿( )を、ベンタム研究者である東京大学大学院医学系研究科医療倫理学分野の児玉聡先生が翻訳したものです。欧米のDigital Humanitiesの中でも比較的先鋭的な議論を日本の関連研究者の皆様にご紹介するために訳出していただきました。(人文情報学研究所・永崎研宣)
-目次-
前文、その一
前文、その二
序文
Transcribe Bentham(ベンタム草稿テキストデータ化プロジェクト)
ベンタム草稿テキストデータ化とDHにおける新しい話題
1. オリジナルのソースに対する依存、現代的テクノロジーに対する依存
2. レガシーデータ
3. 持続可能性
4. デジタル・アイデンティティ
5. 偶然性を受け入れ、開かれていることを受け入れる
6. インパクト
7. 働き口への道のり
8. 若手研究者
9. 経済的不況
10. 資金、人文学、仕事の安定性
11. 将来の懸念
パノプティコンの中のデジタル・ヒューマニティーズ
宿題
まとめ
DH2010 Plenary: Present, Not Voting: Digital Humanities in the Panopticon
DH2010総会:出席、ただし投票せず――パノプティコンの中のデジタル・ヒューマニティーズ
この文章は、キングズ・カレッジ・ロンドンで2010年6月に行われるデジタル・ヒューマニティーズ2010(以下、DH2010)の総会の閉めくくりのスピーチで話す予定の――あるいは、こういうことを言えればと考えている――内容に近いものである。だが、わたしは出来上がった原稿を読むタイプではないので、 実際のスピーチでは脱線やアドリブがあるものと考えてよい。このように文章として書いておくのは、参加できない研究者や、ワールドカップのセミファイナルを見るためにパブの座席を確保するのに忙しい人々のためである。
(追記。後日、確認できるようにツイートにリンクに入れる予定)
前文、その一
はじめに、DH2010の総会のスピーカーを依頼されたことを、大変名誉に思っています。過去の大会ではこういうことはなかったと思います。つまり、これまでは、誰かこの領域に属さない外部の方を招待して、本領域に半分くらい関連する研究領域について語ってもらっていましたが、今回はじめて、本領域を専門にしている人間に発表することを依頼したのです。この部屋の定員は250名ですが、デジタル・ヒューマニティーズについて現在考えていることを一時間かけて語る資格が十分すぎるくらいある人が、わたしを除いて249名いることは承知しています(大講義室でこの部屋の様子をストリーム映像でご覧になっている、DH2010登録参加者200名の方々についても同じことが言えます)。
これも言っておきたいと思いますが、わたしは信じられないくらいに緊張しています。会場にいる多くの人は一緒に働いている同僚で、多くの人は良い友人です。つまりこれは、会場から立ち去ってひどい出来のプレゼンを忘れるということができない学会なのです。総会のスピーチのルールが、ここ数年で、情報環境と同じくらい急速に変わっていることはよく承知しています。10年ほど前のALLC/ACH(当時のデジタル・ヒューマニティーズ大会の名前)の総会の様子を覚えているのですが、そのときは演者は自分の本の一章を読み上げるだけで、会場の人を一度も見ず、「39頁に述べたように〜。第五章で論じるように〜」といったように、発表の仕方を工夫するということはまったくありませんでした。わたしの話は録画されネットで生放送で流れていることを考えると、今日では、それではうまくいきません。人々の期待は高いのです。
わたしは緊張(#nervous)しているだけでなく、そのことに気付いてもいます。すでに、会場の多くの人は、わたしが言ったことにツイッターでコメントしていることでしょう。まだわたしの話は始まってもいないわけですが。そうしていただくのは結構で、特別扱いしてもらいたいわけではありません。ただ、みなさんに自覚していただきたいのは、時代が変わったことを、わたしが自覚しているということです。みなさんがわたしが次に何を言うかを知らないのと同様に、わたしも人々にどのように見られ、どのように受けとめられているのかを知りません。実は、監視というのは、本日みなさんにお話したいことの一つなのです。
前文、その二
わたしのことを知らない方々に自己紹介します。わたしはユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(以下UCL)に所属しています。UCLはキングズ・カレッジから北に1マイル行ったところにあります。UCLもキングズ・カレッジも、ロンドン大学が1836年に創設されたときの創設メンバーで、この二つの大学は、興味深い、競争の歴史を持っています。UCLは非宗教的な教育機関として設置され、お金を払える人なら誰でも入学させました(ガンディーや女性など)。それに対して、キングズ・カレッジは英国国教会を基盤とする機関として設置されましたが、これは「ガウアー通りの偉大なる神抜きの大学」(UCL)がすぐそばで万人に教育を開くことに対抗しようとしていたからです。二つの大学は、それ以来、友好的な――しかしときには敵対的な――競争関係を維持しています。UCLの最近の学長便りの一番重要な見出しは、UCLがラグビーの大学対抗試合でキングズ・カレッジを22対0で破ったというものでした。学術的な面では、同じスタッフ、同じ学生、同じ研究資金、さらには同じ施設をめぐって、よく競争になっています。UCLは最近、Centre for Digital Humanitiesを作りましたが、これはキングズ・カレッジが最近作ったCentre for Computing in the Humanities(まもなくDepartment of Digital Humanitiesに改組)という教育研究機関に対抗して作られたものです。こんな感じで他にもいろいろあるわけです。
われわれUCLの者は、UCLが他と違う性格を持っていることを誇りに思っています。キングズ・カレッジと違い、われわれは決して神学講座を作ることはないでしょうし、キャンパスに祈祷用の部屋を用意することもしていません。UCLの建学の原則の多くは、法学者であり哲学者であり、法・社会改革者であったジェレミー・ベンタムに影響を受けています。彼は、平等、動物の権利、功利主義、福祉国家政策を支持していました。UCLの特別な所蔵品として、フォリオ(二つ折りの紙)で6万枚に上るベンタムの手紙や草稿が保管されており、その多くはまだ手書き原稿のままでテキストデータ化(transcribe)されていません。ベンタムが死んだ際、彼の遺体は「オート・アイコン」として保存されました(これは宗教とキリスト教流の葬式の必要性を信じていた人に対する挑戦です)。そこでベンタムは、現在、彼のお気に入りの服を着て、UCLの廊下に鎮座しています。よく言われていることですが、ベンタムの身体は理事会の場に運び込まれ、議事録には「ベンタム氏出席、ただし投票せず」と書かれるそうです。
古いカラー写真では、保存されたベンタムの本物の頭部が、オート・アイコンの足元に置かれているのが写っています。この頭部は1975年以降、特別所蔵品室に保管されています。その年に、キングズ・カレッジの学生がこの頭部を盗み出し、中庭でサッカーボールのように蹴って遊び、さらに身代金を要求しました(という逸話があります)。このように両大学は友好的な競争関係にあるわけです。
序文
まじめな話に戻って、今の話と、デジタル・ヒューマニティーズおよび本総会の関係について話をいたします。ベンタムの主な関心の一つは、刑法改革でした。彼はおそらくパノプティコンを設計したことで一番よく知られているでしょう。パノプティコンとは、看守が、すべての(パン)囚人を監視(オプティコン)し、しかも投獄された囚人は自分たちが監視されているかどうかがわからないように設計されている刑務所のことです。この心理的に、また物理的にも、野蛮な刑務所が建築されることはありませんでした。しかし、この概念は比喩として生き残り、多くの芸術家、作家、思想家たちに影響を与えました。たとえばジョージ・オーウェル(彼はUCLとキングズ・カレッジの間にあるセネト・ハウスという建物の101号室で仕事をしたことがあり、ジェレミー・ベンタムの仕事をよく知っていたと思われます)や、フーコーがそうです。実際のところ、パノプティコンは西洋社会の比喩とも考えられますし、さらに、昨今では、オンライン・コミュニケーション、とりわけソーシャル・メディアの比喩としても考えることができるようになっています。ツイートするとき、みなさんは毎回誰が見ているかを知っているでしょうか。わたしたちはどのような聴衆に向けて話しているのでしょうか。また、みなさんは自分の行動がどのように閲覧され、使用されているか、ちゃんとコントロールできていると自信を持って言えるでしょうか。
わたしは、自分がデジタル・ヒューマニティーズ関連で過去数か月間に起きたすべての出来事を見た遍在的存在者(omnipresence)であるとは申しません。しかし、このような総会でのスピーチを頼まれると、いろんなことに注意をせざるを得なくなるものです。まじめに宿題をするようになるわけです。わたしはしばらくの間、ツイッター空間のパノプティコン(twittersphere panopticon)を眺めて、何を言うべきか考えていました。その内容が以下のことです。
- 現在われわれの領域で起こりつつある変化を客観的にお示しするために、デジタル・ヒューマニティーズのプロジェクトの一つとしての、ベンタム草稿テキストデータ化プロジェクト(Transcribe Bentham)について手短にお話します。
- 次に、このプロジェクトの話から出発して、過去数カ月にわたるDHの最近の話題について――少なくとも、わたしがこのプロジェクトから学んだ事柄について――お話したいと思います。
- 最後に、われわれの領域で起こりつつある重要な事柄に基づいた宿題を、みなさんに出したいと思います。今日、われわれはそれほど友好的な競争関係にあるとは言えません。最近の金融危機や予定された予算削減のことを考えると、アカデミアは今後、たいへんな時代を迎えます。今回の議論で取り上げる諸領域から、われわれは何を学ぶことができるでしょうか。また、われわれは一つの専門領域としてどのような取り組みをすれば、われわれを監視している人々(信じてほしいのですが、大学運営に関わる人々や財政の専門家はわれわれを見ています)に対して、われわれのやっていることがよく見えるようにできるのでしょうか。
Transcribe Bentham(ベンタム草稿テキストデータ化プロジェクト)
!doctype>