そういえば、連続5日休肝日なんて、今年初めてのことじゃないかしらん!?
あるいは、タイ記録ぐらいか・・・。
今日の昼過ぎには家を出て、たまたまずっと前から買っちゃっていた歌舞伎へ。相棒はいつもの幾子。
そんでもって、5時からはこれまた幾子と一緒に帝国ホテルへそのまま移動。これも偶然。
帝国ホテルでは「柴田錬三郎賞」「すばる文学賞」「すばる文学新人賞」「開高健ノンフィクション賞」の贈賞式がある。
私は一応OBなので、後から追っかけてくる優秀な才能ある新人たちや、こわもての審査委員大作家先生たちや、書き続けた結果のベテラン受賞作家たちの選評を聞き、プレッシャーをかけられなければならない義務があるのである。
本来ならば自分一人で行かなければならないのだけれど、老練なる曲者、我が担当編集者のナカムラ氏は、私のパーティ嫌いを熟知しておる。
婚前の統計うつ病
それでもって、開高健ノンフィクション賞事務局長であるナカムラ氏が特別に内緒で配慮して、私にはナカザワイクコをくっつけてくれたのだ。
実は去年は海苔ピーも一緒の三人さまご招待だったのだが、折からの出版不況の昨今、「今年はどっちか一人にしてくれ!」とのお達しであった。
飲んべを一緒にしておけば、とりあえずフケを咬ますことはないだろう、とのナカムラ氏の深謀遠慮である。もちろん一緒に飲む友だちさえいれば、帝国ホテル飲み放題食べ放題のパーティに異存があるわけもない。
しかし・・・、一緒に行く友だちがいなければ、確実に欠席する、だろうな、私は・・・。
だいたいが、立食パーティが嫌い。
グラス持って、お皿持って、飲みながら食べながらどうやってお話ししながら、あっちから来る人と挨拶して、こっちに知った顔見つけて合図して、知らない相手に紹介されて、バッグから名詞だして、相手の名刺ももらって、初対面のご挨拶交わして、名詞をしまって名刺入れをバッグにもどして、とかとかとか、出来るのだろう、みなさまは。
女性と肥満
だいたい、この手のパーティとかでお目にかかって、そこから素晴らしいご縁の芽が出て立派に育ったなんて、そんなことあるわけがない。
だいたい名刺交換したって、誰が誰だかなんて憶えてやしない。
でも行かなくちゃなんない。幾ちゃんと二人連れなのは、ナカムラ氏の配慮だ。そういえば、去年の贈賞式には、海苔ピーはバッグにタッパー隠して持ってきたんだぞ!
「頼むから、帝国ホテルでタッパーだけはやめてくれ!」と哀願する私を鼻であしらい、「だって、これだけのお料理もったいないじゃない!」とのたまった彼女である。
さすが最高裁を相手取って、裁判を闘い抜く海苔ピーだ。このタフさには、気の弱い私なんぞさっさと脱帽したのであった。
で、1000人からの大文壇パーティの後には、今度は帝国ホテル内の四つのレストランに別れて、それぞれの賞別の二次会がある。私はOBとして今年の受賞者に紹介されなければならないので、これもフケるわけにはいかない。もう、幾ちゃんさまさまである。
肥満と過体重
幾子さえいれば、怖くなんかないもんね。適当に二人で飲んでいれば、あとはもう知るもんか!
酒と肴、これが世界のすべてである。
だが、立食のハシゴは、腰への負担が恐ろしいばかりなのだ・・・。
今のうちに、明後日の長崎行きの用意をすべて済ませておかなければならないんです。今日の夜はへとへとになって帰ってくることが確実だから。
そんでもって、なんとかしっかり復調しておかなければならないの。
昨日、ケーブルテレビで見ていた映画。
「キルトで綴る愛」
映画のコンセプトとしては、「愛の童話」あるいは「寓話」か。
どちらでもいい。いずれにしても童話も寓話も、その芯にはいかなる形であっても存在するのは「愛」なのだから。
キルトになぞらえて、いくつもの女たちの愛の物語が語られる。期待と依存心に振り回されて、自分ではけっして得られない答えを相手の中に探す空しい試み。
相手の求めに応えきれない自分と、自分の求めに応えてくれない相手の間で、どの思いもが傷つき、行方を見失い、諦め、あるいは再び回帰していく。
物語のラスト近く、奔放な母親に向かって主人公が叫ぶ。
「ここまで私を混乱させておいて、今さらひどいわ」
「いいえ、あなたはもうちゃんと自分というものを持っている。ただ怖がっているだけ」
さらに重ねて娘に向かい、こう語る。
「私のしたことをなじるのはかまわないわ。でも、その先にある貴方自身は、あなたのものなのよ」
繰り返して言う。
「キルトに綴る愛」
これは愛を巡る、寓話の物語である。
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